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最近『仮面ライダー電王』がなんだか身に染みる

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仮面ライダー電王は、子どもたちがはまってたせいで良く見てました。途中から大人の方がはまっちゃったくらいに面白かった。よくできた話だなぁと今でもお気に入りのライダーです。

で、その根っこのテーマとして、「歴史(時間だったかもしんない)は人の記憶が作るもの」というのがあります。
だから、裏返すと「誰も知らない時間というのは、無かったことと同じになる(つまり消えてしまう)」とも言える。
ふーん、そんな設定なんだーって思って見てたんですけど、最近これが妙に染みるんですよね。

唐突なんですけど、ウチのカミさんが癌になっちゃったんですよ。
決して早期とはいえない腫瘍だったものの、幸い抗ガン剤が効果テキメンで、命に別状はないなよかったよかったと、そんな感じで闘病生活をしています。

でも「死」というのはどこかで意識するわけです。
はじめに意識した時は、カミさんがいなくなる未来でした。うわイヤだなぁって。
次に意識したのは、たわいもない昔話をしてた時。ウチは学生時代からの付き合いなので、なんだかんだとそろそろ人生の半分くらいをいっしょに過ごしてきてるのです。だから、昔話するとだいたいの話が通じることになる。それを当たり前と思って過ごしてきたけれど、それはカミさんがいるからこその当たり前なんですよね。

え、じゃあ、彼女がもしいなくなったら、オレは誰とこの話すればいいの?

学生の時はひとり暮らしだったし、サラリーマン辞めた後は家にこもってることがほとんどで1日に話す相手がカミさんだけ…って期間も長かった。
ようするに、彼女がいなくなるということは、その期間の自分を知る人もいなくなってしまうということで…。

そう思った時に「ああそういえば電王の話、あれはこういうことなのかも知れない」と、自分の過去がばっさり消えてなくなる錯覚に陥ったわけです。
サラリーマン続けてたら周りにずっと人がいるの当たり前だから、こんなこと思わなかったんだろうなと思う一方、あ、専業主婦の人が家庭を顧みない旦那さんのせいで「私の存在はなに?」ってズドーンと落ちちゃうのはこういうことか…とも思ったり。

『誰も知らない時間というのは、無かったことと同じになる』

自分を知ってくれてる人というのは大事にしなきゃいけないんだなぁとか、いっしょにいてくれる相手のことは、そこにいる責任としてちゃんと自分の方も知っておくようにしなきゃいけないんだなぁとか。
そんなことを、今さらながら考えたりする今日この頃です。

コメント (3)

ファン:

昔、聞いた話なので詳しくはないですが、ある画家が絵を書き続ける理由に
「一人でも多くの人に自分が生きているってことを証明してほしいから」って、作品の紹介(?)に書いてあるという話を聞いた事があったような気がします。

このエントリーを呼んでふと思い出しましたので、書いてみました。

わあ、さすが芸術家さんはなるほど、そういう考え方もあるんですね。

自分は、「その作品を生み出す時の、裏側の自分を知っていてくれる人」を求めてしまう凡人さんなので、ある意味真逆思考かもしれません。

pochi:

物理学の「存在を確認できないものは存在してるとは言えない」みたいな思考実験を思い出しました。
あと技術や文化や歴史などを伝承してきた人がいなくなれば、そこで営まれてきた人々の生活はなかったことになりますから、オーパーツとか謎の古代文明とかは単に現在まで伝承がなされていないだけで意外と簡単に説明ができるものかも知れませんね。

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2011年11月18日 11:49に投稿されたエントリーのページです。

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