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神戸連続児童殺傷事件。酒鬼薔薇聖斗という名前が有名なこの事件が起きた時、自分はまだ20代半ばで、想像力の足りていないガキでした。だから「酷い事件だ」とは思いながらも、遠い世界の話のようにニュースを見ていた気がします。
今自分の元には今年10歳になる息子がいて、「もし」と考えれば多少は置き換えて想像できるぐらいの脳みそが出来ました。
ちょっと考えただけでも脳みそが拒否します。はらわたが煮えくりかえる。あらためて「酷い事件だ」という思いを強くします。
その犯人が手記を出すと。ニュースでかいつまんで紹介された部分を見る限り、どうやら主役は自分自身。どこまでも自分自身。当時自己顕示欲の塊のように見えた犯人は、今もって自己顕示欲を抑えきれずに生きているんだなあと思わずにいれません。
その顕示欲を、未だに匿名性の影に隠れた向こう側から満たそうとする行為。そして、自分自身は匿名性を守りつつ、被害者の子どもたちは、平気でその実名を連呼して本文に記している様子...。
すごく頭にきました。どこまで卑怯なのかと。
自分が被害者家族だったともし考えれば、犯人に自分の子の名前を口にされるなんて、想像しただけで怖気がします。「お前が俺の子を語るな!」と錯乱状態に陥るような気すらします。
願わくばこのような本がベストセラー入りしませんように。
「俺も一発当ててやるぜ!」という言葉が、後ろ向きの暗いキチガイじみた行為と感情の発露に変質したりせず、前向きでチャレンジ精神に溢れたおバカな若者の言葉のままであり続けますように。
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